本稿が出来上がるまで当面の間、谷地田町の古写真でお楽しみ下さい。



谷地田町の旧屋台 (昭和4年)

昔は二階建ての「本屋台」と、現在の型である「腰抜け屋台」の2台を所有しており、
豊作の年は「本屋台」、平作の年は「腰抜け屋台」で祭りを行ったと言われています。
写真は「腰抜け屋台」で、この年に破風・天幕・腰幕を新造したと記録されています。



シャギリ屋台 (昭和8年)

「シャギリ(高砂)屋台」は本屋台と同じ二階建て構造で、数年に1度六日町・谷地田町・大町の
三町が持ち回りで出していました。この年は谷地田町がシャギリ屋台を出し、記録には「近年
稀ナル豊作ナリシ為、高砂出シ盛ナル祭典挙行シタ」、「高砂屋台ハ夜宮ノ晩神前ニ向イ
謡曲ヲヤリ全町ノ隆盛ヲ祈念ス」と記されています。



谷地田町の旧屋台 (昭和16年)

再び「腰抜け屋台」。今の豪華な屋台と比べると、かなり質素ですね。



谷地田町の旧屋台 (昭和20年代)

こちらも「腰抜け屋台」。当時はまだ屋台に電気照明が無かったため、
破風の後ろの屋根上に灯籠が設置されています。



谷地田町の旧屋台 (昭和33年頃)

「腰抜け屋台」晩年の姿。破風・鬼板・懸魚・町名額は上の写真と確かに
同一ですが、土台・親柱・屋根が露骨にチープな造りです。提灯も良く見ると
市販品っぽいですね・・・。この屋台での祭典参加は昭和35年が最後で、
昭和36〜38年は新屋台の建造費用を捻出するため屋台の運行を3年間
休み、提灯を持って六日町・大町との町境だけ行ったそうです。
この屋台は昭和39年、舟場三区(現:舟場元町)へと渡りました。



谷地田町の旧屋台(本屋台) → 旭町へ譲渡後の姿 (昭和36年)

明治12年に造られたとされる、二階建ての「本屋台」ですが、晩年は改造されて
二階建てでは無くなっていたようです。やたら背が高くて安定感が悪かったという
証言もあります。その後、この屋台は旭町に譲渡し、最初の内は谷地田町時代と
ほぼ同じ姿(さすがに町名額、引き幕、提灯等は旭町仕様に差し替え)で祭りに参加
していましたが、後に大改修されて鬼板・懸魚なども新しく造り替えられました。



新屋台の完成

現在使用している谷地田町の屋台は、昭和39年8月に完成しました。登場時は
他町内と同じような「腰抜け屋台」で、太鼓を叩く人は歩きながら演奏していました。
しかし、後に車輪を鉄輪からゴムタイヤへ変更した際、太鼓の位置が高くなって
しまったため、今日のように底部に金網を張って対処しました。(画像クリックで拡大)



提灯持ちの顔ぶれ (昭和50年代)

よく見ると、現在の提灯持ちの一世代前(親)が多いですね。(画像クリックで拡大)