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土佐の国 高知県のトピックス

ライン
切手日曜市 高知城
2001年3月1日 ふるさと切手(追手門、日曜市) 80円 全国730万枚 グラビア5色

2001年4月14日(土)午後5時30分「薪能」高知城追手門広場 喜多流「羽衣」 観世流「翁」 和泉流狂言「末広がり」
香川靖嗣
 観世嘉之・喜正親子 野村万作・萬斎親子 3,500人の観衆

2001年高知城築城400年
ニコニコよさこい運動(2001年高知市  うこそ さやかに ころをこめて らっしゃいませ
土佐の高知のはりまや橋で 坊さん かんざし 買うを見た よさこい よさこい


リストマーク 高知県名の由来

高知県=土佐国。古くは神話「国産み」のなかで「土佐国は建依別(たけよりわけ)と謂ふ」とあり、文献では675(天武4)年、土佐大神(現土佐神社)が神刀一口を天皇に献上したという記録が最も古いとされています。
土佐の語源は土佐人の気質から、俊聡(としさとし)に基づくという説や、地形の上から『土狭・遠狭・門狭』などいろいろあります。また、土佐は「都佐・土左」とも書かれ、平安中期ごろには「土佐」が一般化したようです。戦国時代、土佐を統一した長宗我部元親は岡豊城(現南国市)から大高坂城(現高知城)に居城を移しました。元親の後を継いだ盛親は関ヶ原の戦いで敗れ、長宗我部は滅亡します。の後、土佐国主として、1601年(慶長6年)遠州掛川より入国した山内一豊(やまのうちかずとよ)は、初め浦戸城に本拠を置き、土佐国の平定と藩政の確立につとめました。一豊が入城した浦戸城は周囲が海で、土地が狭かったため、2年後には北の大高坂山に城を築きました。ここはすでに南北朝のころから城が築かれた事もあり、長宗我部元親も一時居城したところでもあります。築城にあたって一日1300人もの人夫で賑わったそうで、一豊は一日おきに浦戸から5人の影武者を引きつれ、同装束で身を纏い、築城の状況を見に行き、当時6人衆と呼ばれ、旧領主長宗我部氏の遺臣の襲撃に備えたといわれています。この大高坂山は鏡川と江の口川という二つの川に挟まれたデルタ地帯の川中島であったことから築城に際し、真如寺の僧在川<一説には雪渓寺の月峯>が、河内山城(こうち)と命名したといわれています。この城山の周辺は地盤が悪く用地も狭いうえ、たびたび洪水に見舞われたため、町造りに大変苦労したとのことです。このため藩主は河内の字を嫌い、1610年(慶長15年〕、五台山竹林寺の文殊菩薩の高い知恵にあやかろうと、同寺の僧空鏡が命を受けて、高智山と改めました。この高智がいつしか高知に変わり、今の高知県や高知市の名称となりました。
大高坂山の北西1Kmほどのところに小高坂山があり、その間に中高坂山がありました。これを取り崩し、その土砂で城の東側を埋め立てたり、盛り土をして城下町が作られました。一方、幕藩体制の崩壊で、土佐藩は高知藩と改められ、さらに廃藩置県となり、現在に至っているのです。「県名の由来」(東京書籍)

大高坂松王丸」南朝の臣大高坂城の領主であった。延元3年近江灘の灘風から逃れた後醍醐天皇の皇子花園宮満良親王を迎え奉じ、南朝のために策したが時運至らず翌々興国2年大高坂城陥り、花園宮は西国に走り松王丸は戦死した。第二次大戦終結まで市役所構内に大公孫樹あり、その樹下に小祠があって待つ王丸の墓なりという口碑あり。昭和の世4位を贈られたのを機会にその傍らに大高坂神社が建てられたが戦災で消失し、後久万の松熊神社内に遷座した。市庁舎改築にあたりこの遺跡を表するためにこの碑を建つ。昭和34年5月、高知市松山秀美文、光本三千萬書
---高知城追手門の正面の案内板「高知城はもと大高坂城といい、南北朝時代に大高坂松王丸が南朝に応じこれに拠って北朝方と戦ったと伝えられる。歌に関しては、”大高坂の城はえて”と唄う秦小学校、"大高坂風澄むところ”と歌う高知県警察学校、”高坂城の空高く”と歌う若草養護学校、”大高坂古き歴史よ”と歌う高知市歌
などが現在も歌い継がれ、きょぷどの歴史を後世に伝えています。---2003.11.26高新所感雑感の千葉悦子さんより引用

高知市の空襲
昭和20年7月4日、夜半から未明までの間に、当夜、師範学校(今の城西中学校あたり)の宿直であった寺尾茂氏の体験記をみよう。(『南国の古都』第18章)「---街の空全体にただごうごうと嵐のような爆音が唸り、{敵機の}機体を離れた爆弾は、空中でずどーんと1度炸裂し、そこで幾本にも分かれた火柱がたいまつを投げるように落ちてくる」「上街地区は、長く赤黒い火炎に包まれ、枡形付近も火の海になったと思われた」---必死で鏡川に逃れた寺尾氏は、午後3時ごろやっと小高坂山の麓をたどって師範学校へ帰るが、「途中、5丁目から東を眺めると、ハリマヤ橋付近までが一目に見える焼け野原となり、所々に白煙が流れて巨大な噴火口を思わせる光景であった。師範学校も、半焼の講堂を残していっさいうせていた。----2002.11.4高新「夢はいまもめぐりて」昭和少年誌 嶋岡 晨---。


「土佐弁ハンドブック」市原麟一郎・坂本正夫共著。「土佐ことば辞典」<と佐弁7000語)橋尾直和著。ともに高知県文化環境政策課発行<平成12年4月>

桂浜は勝浦浜か 2001.1.5高新 伊能図(米議会図書館で2001年伊能忠敬研究会発見の写し270枚の1枚、議会図書館の写しは旧日本軍が全国地図の作成に用いた資料が流出したものとみられる)。地図の地名には「潮江村」「下知村」「横浜村」といった現在に残るものが多くあるが、浦土地区の「勝浦浜」の表記・この表記は16世紀の長宗我部地検帳にもあり、「当時は『かつうらはま』であったのだが、幕末頃から月の名所ということで、「月」を意味する『桂』の字を当て『桂浜』となったのではないか」と大脇教授は指摘する。

 日曜市ニュース 高知新聞 http://www.tosasearch.com/tosaichi/news.htm 32回のうち30回分閲覧可能
日曜市 土佐の街路市の歴史は古く、文献では元禄3年(1690)までさかのぼることができるそうである。高知市内では、日のきまった定期市であったものが、明治9年(1876)以降、曜市となり、最も規模が大きく盛大な街路市(曜市)が高知城追手筋の現在の日曜市なのである。もと本町1〜2丁目の市が、明治37年電車の開通により、帯屋町に移り更に現在の追手筋に移ったといわれている。現在の、高知市の街路市 県庁前:木曜日、約100店  上町4〜5丁目:火曜日、約90店  愛宕1丁目:金曜日、約80店  上町3丁目:土曜日、約14店  百石町3丁目、約30店

火曜市;昭和元年本庁筋5丁目電停南の広場に誕生。断続の後、昭和39年,一つ南側の東西道路へ移転。

水曜市明治4年公園通りで誕生し、昭和元年乗り出しに移転,昭和6年升形に移転。戦後27年新京橋へ復活、昭和31年〜42年梅田橋通り(出店者の一部は土曜市へ)、昭和46年百石町へ。

木曜市;昭和元年中島町に開設。升形、桜馬場そして県庁前へ。県庁前電車通り南側の南北市道のうち西側のグイーンベルトから歩道にかけての空間を利用。ツツジの植え込み、クスの緑。

金曜市;昭和元年朝倉町に誕生。昭和6年ごろには、朝倉町、江の口、旭駅前通り三カ所で開催。戦後30年から34年まで、電車通りから国鉄旭駅前までの両側。江の口の金曜市は、昭和6年ごろに誕生、終戦とともに復活、昭和27年ごろ愛宕商店街へ移転。のち、現在の踏切り南の線路沿いに移転。

土曜市;昭和19年県庁前に誕生。戦後は、旭駅前通りに復活(昭和34年まで)。32年ごろ東種崎町(すぐになくなる)、昭和42年梅田橋の水曜市のかわりに上町三丁目に土用市として復活。

道路占有許可(登録の有効期限は3月末まで)定時は360〜260円、臨時は180-120円。高知市商工労政課。(平成3年現在)

尾長鶏 オナガドリ 国の特別天然記念物 地元に大篠尾長鶏保存会(田島正則会長、12人) 会長は「オナガドリは管理が難しく、良い素質を固定させるには5年以上かかる。<南国市が広島大に依頼していた遺伝学的調査〜効果的な交配パターン>を生かし、世界に誇る種を守りたい」(高知新聞H12.5.3)
 
オナガドリのオスは尾羽が抜けず、10m以上まで伸びる世界唯一のニワトリ。しかし、昭和50年代から尾の伸び悩みが深刻化〜同会は現在158羽のオスを飼育しているが、尾の最長は7mにとどまっている(同日同紙)

昭和40年代に、現在の南国市の地に約400羽飼育。最長は昭和49年南国市篠原の故窪田正さん飼育の13m。公式記録は同氏の昭和49年7月20日計測ギネスブック掲載の10.6m。現在の南国市内の尾長鳥の孵化率30%、近親交配(動物絶滅の代表的プロセス)か。2001.1.4高新

龍河洞珍鳥センター ドイツの尾長鳥センター

藩政時代、山内氏が参勤交代の大名行列で、槍の穂先に使用するため農民に飼育を奨励したのに基づくといわれている。名歴(1655〜57)頃に大篠村の武市利右衛門が飼育に成功したと伝えられている。

 2013.8.15高知新聞 2008年秋、高知県日本鶏保存会西口一雄会長(高知市春野町平和・72歳)断腸の思いで全国の日本鶏愛好団体に休会を通知・・・。・・趣味の多様化、鳴き声への苦情、高齢化、鳥インフルエンザ。・・高知県は、日本鶏30数品種のうち、8品種もの原産地。「国の特別天然記念物」のオナガドリ以外はほとんど注目されることもなく気がつけば風前のともしび・・・。 2013.8.19 高知新聞 ・・長尾鶏の復活・・・数が増えるとともに外国からの注文も相次ぎ、米国防長官が来日の際、すっかり気に入り、一つがい賀」ワシントンに空輸された(55年2月)、ドミニカ大統領からの申し込み55年11月、インド大統領に寄贈59年12月・・。社会的視点から報じたものは、1967年11月の「減りゆく天然記念物-県下のチャボや地鶏が唯一。・・・そんな中、おやっと思わせる記事が3本あった、宮地鶏(宿毛市元産の黒い鶏、81年12月高知新聞)記事、東天紅(2003年5月窪川町<現四万十市)、土佐九斤(2003年7月高知新聞、鶏好きの5人のおんちゃんが2年前から愛好会を結成、活動している・・)飼育に地域の人々が力を入れているというもの・・2013.8.21高知新聞 雑誌「鶏の研究」の中で、「長鳴き鶏として有名な東天紅は昭和11年オナガドリに次いで国内2番目に「国の天然記念物」・長尾鶏チョウビケイと同様、京都から中国(地方)を経て四国へ渡った小国ショウコクが変化したものと見る」と発表されており、これが通説。オナガドリも尾長鶏オナガドリではなく・原産地名にちなんで「篠原統」と呼ばれている。(1979明治12年は区部地雑誌第5号)に出ており尾が長いことから長尾鶏の1種とされていた。  ・・・2013.8.22高知新聞 土佐九斤のもととなる鶏は、江戸時代後期に中国から渡来した九斤、体重が9斤(1斤は600g)・当時はコーチンと呼ばれていた。九斤は「エーコク」とも呼んだ、それは英国船が運んできたからとされる。鶏の品種名は地名が多い、シャモはシャム・チャボはベトナムのチャンパに由来。オナガドリ派」外国では「ヨコハマ」;明治時代に横浜港から積み出されたからだ。・・・。


高知新聞・学芸・月曜随想  高知職業能力開発短期大学、鈴木校長

〜財政力指数・飲酒運転の検挙率〜須崎の梱包材生産量および関連のニュージーランド材輸入量の港別で須崎コ港が日本の30%で日本一。〜仁淀村の鳥形山石灰鉱山埋蔵量15億トン、特殊紙・電解コンデンサー紙国内の95%世界の70%のシェア・乾電池用紙国内シェア100%、人造研磨剤のU社生産世界一。無振動無騒音の杭圧入引抜機のG社国内シェア90%、鉄砲メーカのM社は国内生産の85%、船用のクレーン生産のS社国内シェア60%、耕運機の爪の生産のT社は国内シェア40%、強電解水生成装置<農業分野>のA社国内の60〜70%で世界一。浚渫工事に欠かせないグラバケットのK社の国内シェアは70〜80%、レギュレーター(整流器)製造のF社は国内シェア70%に達している。(おもに高知県地域雇用開発調査・研究事業報告書、1998年による)〜小さくてもキラリと光るその分野では日本一、世界一のものが数多くある ことは意外と知られていないのです〜〜

県環境保全型畑作振興センター(高岡郡窪川町)は、2000年6月、環境に関する国際規格ISO14001に認証を取得(自治体の農業生産部門での取得は全国初。

土佐機会工業「鋼矢板圧入機」伊に納入:無振動・無騒音(40〜50〜60cm3種類に対応)。高知では、ほかに技研製作所と2社。(2000年6月)


  

土佐弁はスーパー日本語 文化高知2000年5月NO95 p3より転載

筒井由美子さん インターカルト日本語学校信濃町校校長 

『〜授業のなかで、どうもやりにくいと思うことがあります。共通語でなくて土佐弁ならいいのに、と。一番そう強く思うのは、「している」という表現を教えるときです。よく知られているように、土佐弁では「〜ゆう」と「〜ちゅう」とに分かれる表現が、共通語では、一つしかありません。例えば「着ている」は第一義は「着ちゅう」ですが、文脈によっては「着ゆう」にもなり得ます。「彼女は着物を着ている」。きれいだね」は「着ちゅう」、「今着物を着ているから、ちょっと待って」は「着ゆう」です。
着終わっている状態と着ている最中とが、まったく同じ表現だなんてひどい、と思うわけです。窓を開けて「あ、雪が降っている」と言うと、「降りゆう」も「降っちゅう」も可能性があるのです。ひどい。

そういうわけで、「〜している」の使い方は、日本語の中で最も難しい項目の一つになっています。わたしはひそかに、本来の日本語は土佐弁のように、二つの表現が存在していたかずだと思っているのですが。

もう一つ例を挙げると、禁止の言い方です。共通語では、「〜してはいけない」という複合表現を使わねばならず、動詞の活用変化でこの意味を伝えることは出来ません。土佐弁では、「行かれん」「食べられん」」というのがあります。共通語で同じ形の「行かれない(=行けない)」「食べられない」というと、可能形の否定になります。土佐弁の可能形の否定は「行けん」「食べれん」という形があります。この可能形は状況可能つまり周囲の状況が原因で可能不可能であることを表し、能力可能は別の形の「よう〜する・せん」があります。

例えば、「今日は泳げん」と「私はよう泳がん」とは、異なった意味の可能形ですね。共通語では、このような状況可能と能力可能の違いはありませんから、どちらも「泳げない」または「泳ぐことができない」と言います。これだけでも表現力の違いがわかるでしょう。土佐弁はこのように豊かな言葉です。いつまでもこの豊かさが保たれることを心から望みます。』 大文字は転載者つまり私がつけました> 高知県の言葉 次頁へ


水熱・ソルボサーマル国際会議、高知市で開催2000.7.25〜28 14カ国300人

H12.5.11付け高知新聞によれば、高知大学では、故山崎重明名誉教授・山崎仲道名誉教授らが中心になって、全国に先駆け、水熱化学実験所を開設〜世界的に注目される研究分野に成長〜
『水熱(ハイドロサーマル)』はセ氏100度以上の高温水を溶媒にした化学反応で、『ソルボサーマル』は水以外の溶媒を使ったもの。
この二つの化学反応は、人間が合成、放出した本来は自然界には存在しないさまざまな有害物質などを内部に閉じ込め外に出さない、いわゆる「ゼロ・エミッション社会」の構築に不可欠な技術と言われており、有毒・有害物質を無害化。地球環境を救う科学技術に応用できると高く評価されている。


参考)高知新聞H6年11月30日夕刊:高知大学水熱化学実験所(山崎仲道所長)が東北大学などと協力し高温高圧水によるフロンの分解処理装置の実用化に成功した。液体フロンを食塩と無害な螢石に分解する装置で、4トントラックに積載、廃棄物業者などが回収したフロンを分解して回るユニークな<各地で移動できコンパクトで廉価>装置。水酸化ナトリューム水溶液などと混ぜた液体フロンを240度、200気圧までの高温高圧にすることで、炭素と塩素、フッ素に分解して、最終的に液体フロンを食塩と無害な螢石に分解する。1時間に300リットルの液体フロンを処理できる。

参考)高知新聞H11年5月14日:高知大水熱化学実験所の蒲生助教授は、水熱ホットプレス法(水分を含む物質を加熱・加圧して化学反応させる手法)でシイタケの菌糸による分解を加速させることを試み〜DDTやDDDに汚染された土壌を短時間に無害化、縮小化することに成功、15日に青森弘前での分析化学討論会で発表する。

                                           


3月14日付け高知新聞によると、四国のサービスエリアとパーキングエリアのオリジナルメニューを競う「食人技コンテスト」( 今回のテーマは「お袋の味・四国の味」) がこのほど高松市で開かれ、南国SA(下り)が、二年連続の最優秀賞に選ばれたとある。昨11年メニューは、「四季菜弁当」(750円)、今回は「あの頃膳」(840円):カツオのたたきと手作りコロッケ、イカとネギのぬた、里芋の炊き合わせ、卵焼き、四万十川の青のりが乗ったごはん、それにのどごしの滑らかなそば汁つき〜
四国21世紀定食(カツオタタキのオリーブソース)「土佐の彩・竹籠膳」1,080円、南国SA上り



浦戸湾・七河川一斉清掃

初めてのデジカメのUP、写真の重さとかのテストを兼ねて。 これから、少