
| 破 |
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■うたし
しかも、素性は中央正七位、帝お抱えの雅楽師だったりした。
「お客様なんて、珍しいですネ」
飯炊き場でイツ花は茶を戸棚から出す時、そう呟いた。
その台詞の前に「この家に」と足さなかったのは一族を思いやっての事か、それとも自然な成り行きか。
「…珍しいの?」
後ろでつまみものを探しにごそごそやっていた弾が返したそれに、イツ花が頷いた。
「珍しいと言いますか…初めてかもしれませんね。」
少し前に、一族の存在を危ぶんだお役人の偉方が数人で押しかけて来た事があったが、
それはお客さまと呼ぶには程遠かった。
悪く言えば"調べに来た"、と言った方が正しかった。
この家の2、3代目が存命だった頃に、それまでの名声も殆ど無いままいきなり討伐隊選考試合で
優勝をしたり、帝が出した報奨金をかけ命を出した討伐では、余所の討伐隊とは桁違いの銭を捲り上げた。
その為当時、宮中では何かと隠密にこの一族の名前を話題に出す者が出始め、
"何かの神がかりだ"と陰口の口火を切った役人とその腰巾着が、この家の門を叩いたのだった。
その時は、まだ陽が昇りかけたような、役所に勤める時間にも満たない朝方であった。
彼等、危ぶんだ役人達にとっては、この急に名を馳せ出した一族が何か怪しい事のひとつでも
朝方からやらかしていれば、それをだしにして帝か大臣かに告げ口でも出来るとでも考えて
いたのが目に見えていた。
(構えまで大きい家だ…)
その役人達が門を押し開けようとした時、後ろから彼等に呼びかけるひと声があった。
「…すみませんが。」
最初、役人達は家の中から人間を引っ張り出すことに躍起になっており、その声には
気付く隙間も無かった。
「すみません。…どいて頂けますか」
声というよりはその気配に気がついて振り返ってみると、そこには頭から血を流した
少年の肩を担いだ女性が居た。
その女の後ろには、更にこれも傷だらけの人間が二人立って居た。
「…ひっ」
その修羅な姿を目に入れた男たちは、急いで両側に道をあけた。
その血塗れの人間達は、どうやらこの家の者のようであった。
少年の肩を担いで居た女性が一遍だけ礼をすると、華奢そうな片手で勢い良く門を開き、
後ろから荷車を引いて来た者たちとだまになってずかずかと入って行った。
はっきり言うと、そんな姿は他人にはあまり見られたくなかった。
その為に、毎回討伐の折は、家に戻るのは人目がつかない陽が昇る前の早朝を選んで居た。
それなのに今回は乱れた姿を門前で見られてしまったが、しかし、そんな事はどうでもいい。
兎に角屋敷に戻り、一刻も早く手当をせねばならなかった。
しかし怪我を即席で治したり、回復の術を覚えている筈の人間達が、何故傷だらけになっていたのか。
答えは簡単で、それらの補助系の術は傷を負ってから決まった時間内に唱えないと効力を失う。
―補助系の術を使える精神の余裕も無かった。
普通の家であれば、門の前に人間が立っていれば「何か御用ですか」や「お客様ですか?」
と云うような気の利いた一言が言えるはずなのだが、イツ花以外でその様な持て成しを
こなせるものは、この家にはまだ一人もいなかった。
この寿命のやたらに短い奇怪な一族に理解を示した者が客人として訪れる様に
なるまでには、最短でも10年近くを要した。
その期間だけで、何遍も世代が変わった。
門から入って行く武装した人間達を、役人の男たちは呆然と見ていた。
静かにしんがりを歩き最後に其処を通ろうとした年端も行かぬ少女が、
最後にその男の一人を見詰めてこう言った。
「おじさんの着物、…綺麗ね。」
見せた柔らかそうな少女の笑顔は、身につけていた着物と持っていた武器の血痕によって
半分ほどかき消された。
門が閉められた後、一族を疑った男達は暫く為す術無く立ち尽した。
怪しむ前に、訳が分からなくなった。
―何故あのような、見た目儚き者達が血を流して戦に臨んでゆくのか。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■へんげ
―もしかすると、人目がつかなくなった場所で、怪物にでも変化するのか。
―しかし、怪物やら鬼ならば血などを流す必要は一厘も無いだろう。
―その前に、怪物ならばこんな都の中に戻って来る必要も無いだろう。
―違う。それは逆で、民に怪しまれない為だ。そして直ぐに取り付く為だ。
―それも違う。あれは怪物では無い。怪物が怪物を倒しに行くなど有り得ない。
―ならば、生き残りを賭けて共喰い。…もしくは鬼さえも喰らう為の神がかり。
―
―だとしたら、…どうする。
その内容がどこまで通じていたのか定かで無いが、男達は暫く目だけで会話していた。
沈黙があった後、その中の一人が切り出した。
「今後…近づかぬ様。そして、この事は今後一切他の者に口外せぬ様。そして、宮に戻った後は
重ねて身を清める様。」
いっさいがっさい
一切合切触らぬが吉、と考えた。
辺りはまだ、屋敷の前の通りには彼等以外誰も居なかった。
それ以降、暫くの間この屋敷から家族以外の役人やお偉方は遠ざかった。
しかし、この一族は増築やら公共投資には何故か日常から金をはずんでいたので、
商人やら一般の民からは、特に危ぶまれて目をかけられるという事は無かった。
ただ、「吉川はんの家、お金もあるし強ぃて聞くけどいっつも討伐に行かれてん。同じ顔に会うた事が無い」
という歌のような軽い言い回しがどこぞの条の通りで流行ったと云う噂があった。
"同じ顔に会った事が無い"というのは、この場所に家を構えさせられた初代当主が最初の最初で
『須磨やら吉野やらに分家があって、そこから互い違いに人が入れ替わって云々』
とかいって、近所に胡散臭い作り話みたく言い訳をしたものだから、そこから有耶無耶になった
事が変な方向に進化したものだった。
しかし、表だって家の者は討伐やら天覧試合以外の用事で外出をすることも無かったため
何と言われていようが、あまり関係無かった。
外出しなかったとは言えども、交神月やら討伐出立・帰還前後、晩月などは人知れず
町に繰り出す心臓やぶりが居たが、それは回数に入らない。
あのイツ花も、それの半分以上は見て見ぬふりをした。
「…イツ花ちゃん」
呼ばれて振り向くと、ヰヅルと並んで体格の良くなった弾が、図体に似合わず下を向いて居た。
「あのこないだ…勝手に外に出て、ごめん」
「…いいぇ?別にイツ花に謝らなくても良いのですよ?」
即座にイツ花は答え、何事も無いかの用に元気良く笑いかけた。
「弾様。都は如何でしたか。華やかだったでしょう?」
「う、うん!すんごい綺麗な店が沢山並んでて!時々ヰヅルちゃんとだんご、すげえ立ち食いして!
楽しかったぁ。…訓練か討伐が終わったら、ねえ。又行ってもイイでしょ?」
一転してはずむような声でイツ花に請うて来た弾を見て、思わず文字を読み出す前の子供を
あやすかの様に、彼女は笑いかけた。
「勿論。また討伐から戻られた時にでも、町にヰヅル様とお出向きなさいませ。
…でも…知りませンでした。あの試合の日の前の時間に団子まで食べてたなんて…。」
「うん。買って食べたよ。みたらし、四人分」
「…あぁら。イツ花はそんな事まで聞いておりませんよ」
ヰヅルはその頃、客人を自分の巣に招き入れて居た。
「ヰノ字の部屋…何やら綺麗ぇーにしとんな。…拍子抜けや」
「あ。俺、清潔なの。マジで」
ヰヅルは、相変わらず悪気の無い無表情でしゃべくって来た。
「…自分で言うんかな普通」
聞こえるか聞こえないか分からないような大きさで醜が苦笑して呟いた後、
ヰヅルはじわっと姿勢を直した。
■■■■■■■■しゅう
「そういえばさ、醜ってば何で俺に会いにいらして下さりましたワケ?」
(…敬語んつもりやろか…。まあええか)
ヰヅルの台詞はいちいち微妙だったが、あまり気にしない事にした。
「…あの。…君に謝りに来てん…ていうか…礼言いに来た。」
「え。なんで」
今にも首のひとつでも傾げんかの様な表情をしてヰヅルが彼の顔を見詰めて来た。
「僕…可笑しな話、選考試合の日に君に礼も言わんと、ぶっ倒れたやろ。」
「…礼って、俺、何かイイ事した?あ、笙の助っ人」
それに対して僅かに首を振った。
「違う。…まあそれもやけど、違う。他ン奴等はナニも見えんと絶叫ばっかしやらかしおったけど、
あん時、僕の舞の背後に併せて舞台に一匹居ったやろ、…餓鬼が。」
一瞬、返答が帰って来る間隔がずれた。
「え………醜にも見えたワケ?鬼が?マジで!?」
表情は殆ど変わらなかったが、敢えていうなら驚いたそれになったヰヅルに対して、
醜は目だけで頷いた。
「あん餓鬼の目は凄ぇかった。アレにでも後ろから食いつかれでもしていたら、今この家に君訪ねて
来れへんかったかも知らん。せやから、あっさりやけど礼言いに来てん。」
「俺、別に礼なんて要らないけど…。あ、若しかして俺の事気になってたりして?」
淡々と喋り続けるヰヅルに対していちいち突っ掛りそうになったが、辛うじて醜も台詞を続けて居た。
「なもんで…これ。ヰノ字は甘いの好きか?」
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■なり
差し出されたのは、奇妙な黒の上に白色があしらわれた形をした物体だった。
ヰヅルもつられて、それに視線を奪われた。
「あ…なんか、うまそう…これ。マジで」
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ひむか
「鯨羊羹。君、見た事無い筈や。だってこれ、毎度日向の御得意さんから取り寄せてんで」
そう言われた後、その鯨羊羹といわれた物体と、醜の顔を交互に眺めた。
「日向って…それって、すごい南じゃん。高いんじゃないの、これ?しかもうまいよ?うわ」
何時の間にか、食前食後の躾を浄流から叩き込まれた筈のヰヅルの手と口は動いて居た。
「気にせんでええ、て。御得意さんからやし。まあ余ったらヰノ字の姉さんやら弟さんに」
(姉さん、弟?俺に?…だれ、それ…)
思わず、そんな台詞が飛び出しそうになったが、何か感づいたらしく慌てて羊羹と一緒に呑み込んだ。
―醜が言って居た"姉さん"は、自分より早く生まれていた壱綱で、
―恐らく"弟さん"は自分より一ヶ月遅れで生まれていた弾の事を差していた。
ヰヅルには最初その表現に違和感を感じたが、普通の人間の目には通常そう見えるに違いない。
敢えて黙っておく事にした。
「…うん。これ、弟さんと姉さんにもあげとく。有難うね。あ、お茶。
ねー。イツ花ちゃーん、お茶ぁ…。」
廊下に半分身を乗り出して呼びかけて見たところ、向こうの方から元気の良さそうな声が
返って来た。
「はぁーい!只今持って上がりますので、バァーンとお待ち下さいませ!」
その声を確認したヰヅルは、再び呼びかけていた。
「ねー。お茶、俺が運ぼっか?マジで」
「あっ、よろしいんですか?申し訳御座いませーン!そうして頂けますかァ!?」
お茶を運ぶ為に、ヰヅルが先程のイツ花が茶を入れていた部屋にでれでれと足を運んだ。
「イツ花ちゃん、お土産もらったから後であげるね。うまかった、マジで。良かったね」
いっぺんプッと笑った後、何やら急にイツ花がそれとはとは打って変わって神妙な面持ちになった。
「…ヰヅル様。」
「え、何…。」
勿体ぶって横をチラリと見た後、向き直った。
「…大変申し上げ難いのですが、…今日お越しになった易小路様とヰヅル様が楽しくお話をなさるのは
いっこうに構わないですし…良き事だとはイツ花も思うのですが。…その…」
そう言った後再び目を反らした彼女を不思議に思い、ヰヅルは顔を覗き込んだ。
「イツ花ちゃん、何?ねえ。醜と俺がどうしたの。ねえってば」
返事は、先程の元気の良い声の半分程度だった。
「ヰヅル様が御自身やこの家の事を易小路様にお話になる事だけは…控えて頂きたい、と」
それを聞いて、彼は一回瞬きした。
「…なんで?」
直ぐに回答は来なかった。
その姿を見て、ヰヅルは何か簡単には言い表せない、この家に対しての漠然とした違和感を覚えた。
「ねえ、なんで。普通さ、自分やら家の事を話すんじゃないの?…若しかして、何か変なの?この家。
ねえ、…あの、もしかして何か俺らが変だったりしてもさ、醜は別に突っ込んだりしないよ?」
「貴方様は、"変"では御座いません。」
イツ花は、下げていた顔を上げた。
「ですが…それでも、ならないのです。お相手がそういう御気遣いが御不要の方であるのなら尚更」
その彼女の台詞を黙って聞いたまま静かに立っていたヰヅルに、イツ花がもう一言付け加えた。
「お若いですし…今は、ヰヅル様はお分かりにならないかも分かりません。
お辛いと思いますが…堪えて下さいませ。」
お互いが傷つかぬ様に、悔やまぬ様に、何事も無き様に。
先程から、外からの反射した快晴の空が、廊下にまで動かぬ影を作っていた。
「………お茶…、貰ってくね。」
彼のその影が、先程とは反対に重く、引きずる様に動いた。
理解したとは言えなかったが、呑み込んでみるしかなかった。
(…………)
通常頭の回転が比較的速くて言葉がぽんぽんと出てくるヰヅルも、この時だけは頭の中が
真っ白になっていた。
ヰヅルにそんな事を言ってしまったイツ花も、悪気があったわけではなかった。
彼に付け足す言葉も見つからず、廊下の角を曲がるまでその後姿をただじっと見ていた。
お茶を入れて来る、と言ってから戻って来るまで半刻経っていた。
「…炊事場は立て込んどったんか?」
そんな醜の苦笑いした呼びかけに、ヰヅルは何時の間にか先程の淡々とした口調に戻って返していた。
「うぅん。家にあるお茶をさ、全種類ちっとずつ混ぜてたら怒られちった」
へえ、という返事で入れて来たお茶を一口で飲み干すと、醜は立ち上がった。
「…えっと、実はな、今稽古があるんを抜けて来てん。悪いな、もう戻るわ。長居してもうた」
まだ早いじゃんと言いたげな表情をして来たヰヅルを見て、そのまま帰るつもりが
何か思い出した様だった。
そしてここに来た時に一緒に携えていた豪奢な風呂敷をまくり取った。
「そうや。僕な、鯨羊羹よりヰノ字が好きそうなモン持って来てん、これ。やるわ。」
風呂敷から出て来たのは、先日ヰヅルが討伐隊選考試合の前に、大事そうに吹いていた
雅楽器の笙だった。
その姿に目を見張った後、うっかり手を伸ばしそうになっていた自分が居た。
「…え。くれるのこれ?…でもさ、これって、凄い大事なんじゃ」
「実はな、僕はもう今後笙を吹く必要のうなってん。…へへ、舞楽だけ続けてやる事にした。
足が悪いとか言いながら、…舞えん鬱憤を笙吹いて晴らそうとしおったかもしれん。
でも、そんなんは言い訳やろ。やりたい事出来る限りやりまくって、それで不能になった方が
きっと本望に近い。何もせんと長生きするより、そっちの方がずっと格好ええ。」
ヰヅルは、それを聞いて思わず一遍だけ頷いた。
「笙もな、きっと主人を選ぶ。大事に使い古して貰える方が、笙も喜ぶ。せやから君にやる。」
そう言い放つと、それを勢い良く胸前に押し込んだ。
「悪いって。マジで。…この笙に会いたかったのはやまやまだけど…。でも……
あ。そうだ。借りといて、後で返すね。マジで」
あくまで貰いもので終わらせそうに無いヰヅルに、首を振って答えた。
「あぁん、返さんでもイイて面倒やし。…まあええわ。その辺また考えよ。…そういえば、ヰノ字は
年、僕と同じくらいか?僕、今十七になる。」
「え。俺?…えぇと、二ヶげ…」
「へ?」
二ヶ月、と言いそうになったのを慌てて喉元で抑え、言い直した。
「あ、ううん俺、歳…忘れちった。今度数えてみる。多分。」
「数えんでも…ま…同じくらいか。」
「う、うん。」
そう頷いてみると、それを見届けた醜は庭に下りた。
「お茶、ごっそさん。おもろかったわ。それじゃあ」
「ねえ。」
外に向かってすたすた歩いていた彼を、ヰヅルが又呼び止めた。
「…何」
「あの…ねえ、あの。…俺、来月から討伐に行くんだけど…。あの。戻ったらまた遊んでくれない?」
「…討伐、か。僕は戦う力は全然持ってへんから…ヰノ字の家が羨ましい」
そう呟くと、醜は振り向き様に微笑した。
「うん。そん為には無事に生きて帰れよ?」
再び前を向いて歩き出した彼は、姿勢正しく門の奥に吸い込まれて行った。
「あ。…送ってけば良かった…。」
ヰヅルがそう呟いて先程借り受けた笙を見詰めたのは、それから時が過ぎて陽が傾いた頃だった。