
| 三 |
まだ自分の生きてゆく意味すらも知らなかった頃、
屋根の上で見上げた空だけは矢鱈と青かった。
あの日も確か、今日みたいに晴れてたっけ。
1046年11月。
地獄への入り口を開けて幾年月、ようやく修羅の塔か終界近くの鬼と互角に戦えるようになった頃だった。
そんな折。月の初め、イツ花に手を引かれて、神の元から新しい男の子供が来訪した。
二年当たりに5・6人新しい子供がやって来るこの家にとっては、これは別に「珍しい」といった出来事ではない。
只特筆すべきは、今回やって来たこの子供に限っては、素質の高さが相当に並外れていた、というところか。
■■■■■■■■■■■なりわい
彼の親は舞事を戦の生業としていたが、その子供は自分の考えと親からの希望が一致して大筒士になった。
明けて、その次の日。
今月も又、討伐に向かう者達の準備で家は朝から慌ただしかった。
そして家に残って、その先日やって来た我が子の指導をする者もいた。
しかし、その当の指導する父親は何故か庭に出て一人で屋根を見上げ、時々溜息をついていた。
「あーあ…。どうしよっかな」
その姿があまりにも呆然としていたので、出陣の準備をしていた一人の目に留まった。
「ね、央華のオジさん。どないしはった?」
声をかけたのは。一族の女、と云うよりは少女だった。
踊り屋の格好をして居たが、衣装を「着ている」と言うよりは「衣装に着られている」と言ってもいい位に初々しい感じさえした。
「あぁ、亜蓮」
その央華という男は、その少女に家の奥から四つ足で這い出た格好で見上げられた。
「オジさん、さっきから気になっとったらずっと屋根見上げてるやん。そういえばあン子…厠?長いね」
央華は強面の顔を歪ませて苦笑いした。
「いや…厠違う。見てみ。…ホラ。」
そう言って顎で差す方向を亜蓮が見上げてみた。
「えー、ナニ?…うわぁ!」
屋根の上の端に、子供が座っていた。
増築されたその家の屋根の上では、その姿はあまりにも小粒に見えた。
しかも良く見たら猫か何かも一緒に懐の中に連れて居る様子だった。
予想外な事をされて居たその姿に、見上げた亜蓮も口が開いたままだった。
「…うわー。ちょっとオジさん。どっから上ったんよあン子…。」
「あぁ。一箇所だけ、屋根修理用の上り口に窓付けとってん。多分それ見付けられてそっから…。しもたわ」
「あー、あそこかぁ。で…ねぇオジさん。でも、鍵自分で開けたんあン子?でも。屋根の上コワないんかな」
央華は見上げたまま溜息をついた。
「要領のええガキやで…。ちゅうか俺、高いトコアカンねんて」
そう言うと、若干声が大きくなった。
「飛鷹ー!今日の訓練は仕舞や!せやから降りて来いて」
「……。」
その声に気が付いた子供は、一度屋根の下の親父の方を見下ろした。
しかし何も言わずに再びふい、と視線を変えてしまった。
だが直前、そうする事は本位では無いような、申し訳なさそうな顔もして居たような。
「…しもたなあ…。あれ話すんは早過ぎたわ…。」
央華は再び溜息をついた後、一遍肩で大きく息をした。
しかし亜蓮にはまだ、事の脈絡が良く分からなかった。
「ね、オジさん。でも何であんななった?飛鷹って若しかして訓練とか好かんのやろか…」
彼女のその言葉と同時に央華から首を振って否定された。
「や、ソレ違う。ついさっきまで『訓練楽しい』言うて、俺ん話喰い付くみたいに聞いとってん」
「へぇ、それやったら…術覚えるんが好かんとか?」
「いや。術…午前中だけで『卑弥子』と『祭り』系、全部覚えよった」
「うっそ凄い!…じゃ、何で」
央華が嘆息して苦笑すると、今度は目線が下がって遠くなった。
「指導の途中で『奥義』の話になってな…。奥義ってホラ、アレやないか。健康下げる…なもんでその時に俺、
つい先に寿命の事も一緒に飛鷹に話してしもて…」
「あー…そっか。…いきなり寿命の事聞いてしもたらちょっと驚くやろね、やっぱ」
「あぁ。で…いきなりアイツ、『そんなんないわ!』言うて。『風に当たって来る』て。…で、気が付いたらアソコ」
若しかして、飛鷹は独りになりたかったのだろうか。
まかり間違って居てもよもや彼が屋根の上から飛び降りる事は無いだろうと思いたかったが、
その姿は一触即発、見た目余りにも危険だった。
「…引き摺り下ろすんもアレやし。そうやって済む問題違うし…。」
戦闘中の踊り屋特有のおカマな色声とは打って変わって、央華は低い声でぶつぶつ自分と密談していた。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■おとこおんな
…この家で『踊り屋』という職に就いた男達は、大概討伐先で戦闘になると何故か性格一転、男女になると云うのが通例であった。
余談になるが例外として、かつて一人だけ何故か完全にその逆で普段は女そのもの、しかし
いざ戦となると素に戻って男になるという、結構変わり者な踊り屋の釣り好きな男も居た。
「分かったオジさん。うちに任しといて」
そんな彼の姿を見て、亜蓮はその背中を叩くと家の奥に軽やかに駈けていった。
「えっ。あ、亜蓮!お前屋根ン上…」
いきなりだったので央華はその一言しか出てこなかった。
「へーき!」
向こうからもその一言だけ返って来た。
その後姿は、あっという間に奥に消えた。
「あ…すまん。ま…エエ歳こいたオッサンが上るよか見た目ええわな。」
自分への言い訳みたいな事を言った後、央華はその雅な名前に不釣合いな鬼面で苦笑いした。