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百周年記念能  高知能楽協会 -第2頁・県内きゅうこうかい・新聞 3高知九皐会鎌倉能舞台等 中国物 
 高知2013年以降全般 = 観世九皐会 由来/三代能   鎌倉能舞台HP   


 BGM は forever 
 謡 曲  ほか(第TOP頁)         

鶴鳴(かくめい)」
九皐(かくきゅうこう)に鳴き 声野(や)に聞こゆ
魚潜みて淵に在り(うお ひそみて) 或いは渚(しょ)に在り
楽しきかな彼の園は(かのそのは) ここに樹檀(じゅだん)有り
その下には維れ(これ)?(たく) 它山(たざん)の石も 以って錯と為る可きならん(さくとなるべき)

九皐に鳴き 声天に聞こゆ  魚渚(しょ)に在り 或いは潜みて淵に在り
楽しきかな彼の園は 爰(ここ)に樹檀有り 其の下(そのした)には維れ穀(こく) 它山の石(たざんのいし)も 以って玉(ぎょく)を攻く(みがく)可きならん
詩経 小雅・鴻鴈之什

会名の由来 鶴が山深い沢で鳴いても、その声は転にも聞こえるように身にまことあれば、目には見えなくてもおのずから形にあらわれる 平成20年12月20日九皐(複刊第15号)



観世九皐会百周年記念扇 鶴鳴の鶴を中央に、常盤木の松、寿ぎの亀甲文様と矢来観世家由来の屋羽の文様をあしらい図案化

高知県立能舞台の床は国産材  全国の観世九皐会   かつての懐かしい映像

BGM恋瀬川 Escキーで解除可能 作詞松井百合夫/作曲:叶弦大/唄 中村

高知県文化賞受賞者・団体


 
御題  平成6年   平成10年 道  平成16年 幸  平成17年 歩み  平成18年 笑み  平成19年    平成20年 火  平成21年 生 平成22年  23年 、 24年 、 25年 立 平成26年 静か 平成27年 日の本
松の間で15日、恒例の歌会、伝統的な節回しで披露される。応募要領は宮内庁ホームページで。住所電話番号氏名(振り仮名つき)生年月日職業、無職の場合もとの職業を書く、「主婦」でも可。自筆毛筆縦書きが原則・病気障害で代筆パソコンかまわない(理由と代筆者の住所氏名を別紙で添える、視覚障害者は点字でも良く、海外からの応募なら半紙や毛筆でなくても良いがサイズは縦24cm。良く33cmとする・・。

御題  ぬばたまの。夜もはるばると月影の。さやけきしじま(沈黙)川渡る。歩みのままに。立ち騒ぐ。流れさながら水晶の雫のごとくかかやきて。身のさだめ(運命)には逆らえず。おきな・ヲオナの嘆かばこそ、綺羅星のごとき公達の嘆かばこそ。つきにぞかえる。かぐや姫。天の羽衣着るおりぞ。嘆きの心失せぬべしと。富士の高嶺にゆきゆきて切なき恋の想い出を燃やす煙の。月影に。太刀昇りゆく静けさよ。平成19年新春 辻井喬作、26世観世清和

謡曲十徳 一、行かずして名所を知る(不行而知名所) 二、旅にありて知音(ちいん;知り合い。知人。愛人。恋人)を得る 三、習わずして歌道を知る(不習而識歌道) 四、望まずして高位と交わる(不望而交高位) 五、詠めずして花月を望む 六、老いずして古事を知る 七、友なくして閑居を慰む 八、觸れずして仏道を知る 九、恋せずして美人を思う 十、薬なくして鬱気を散ず
謡曲十五徳 @『不行而知名所』 行かずして名所を知り。A『無薬而散欝気』 薬なくして欝気を散ず。B『不馴近武芸』  馴れずして武芸に近づき。C『在旅而得知音』 旅に在りては知音(チイン)を得る。D『不思而昇座上』 思わずして座の上(カミ)に昇り。E『不軍(イクサ)而識戦場』 軍(イクサ)せずして戦場を識(シ)る。F『不習而識歌道』 習わずして歌道を識り。G『不望而交高位』 望まずして高位に交じる。H『不祈而得神徳』 祈らずして神得を得。I『不詠而望花月』 詠せずして花月を望む。J『不老而知古事』 老いずして故事を知り。K『不触而知仏道』 触れずして仏道を知り。L『無友而慰閉居』 友無くして閉居を慰め。M『不恋而懐美人』 恋せずして美人を懐(イダ)き。N『不厳而嗜形美』 厳ならずして形美嗜(タシナ)む。


NHK大河ドラマ 功名が辻 第7話・8話(2006.2.26に能;屋島(切)、紅葉狩(切)シテ観世喜正・ワキ・ワキ館田善将、笛一噌隆之、鼓観世新九郎、太鼓柿原弘和・観世元伯、地唄 弘田裕一・駒瀬直也・中森貫太・中所宜夫、後見 長沼範夫・遠藤和久等各師による
2006.6.10NHK BS 4時 愛宕山薪能 船弁慶 観世喜之・喜正
2006.7.9 NHK 総合 功名が辻 仕舞 清経
http://www.iijnet.or.jp/NOH-KYOGEN/visitor/visitor.html  http://www.iijnet.or.jp/NOH-KYOGEN/index.html 

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観世九皐会 発足 名称 由来 

定年後20余年の 「謡蹟めぐり」高橋 春雄さんHP
漢詩と謡曲の世界 久下昌男界さんHP 
山崎博司さんHP(松風会)
喜香会氏原豊さんHP
能楽喜多流高知喜香会
観世流観遥会・高知観世九皐会・能楽観世流・松風会・観世流鳳翠会<掲載

平成4年以降の高知県内写真のコピー 鏡調会・皐調会・皐幽会(安芸にて)
・九皐会平成5年8年1年・杏聲園平成9年の10周年と平成14年
・・・・・・・59年謡関連写真等
ラインライン 

鎌倉能舞台メルマガ'07.5.1転載 ・・新築祝いや開店祝いの時には、建物は火を嫌いますから水に縁のある曲を選ぶ のが良いとされています。「猩々(しょうじょう)」「菊慈童(きくじどう)」 「養老(ようろう)」などが良く謡われます。

長寿の席ではやはり「老松(おいまつ)」ですね。「齢を授くるこの君の  行く末守れと我が神託の」と、めでたい言葉になっています。

不祝儀でも謡は謡われます。お通夜や告別式では「江口(えぐち)」「融(と おる)」などが良く謡われます。

「白雲にうち乗りて 西の空に往き給う ありがたくぞ覚ゆる(江口)」「こ の光陰に誘われて 月の都に 入り給うよそおい あら名残惜しの面影や(融)」 などは、私自身も謡っていて涙が出ることもしばしばです。

法事では「賀茂(かも)」を耳にします。曲は祝言曲なのですが「年の矢の  早くも過ぐる光陰 惜しみても帰らぬは元の水 流れはよも尽きじ 絶えせぬぞ 流れなりける」の部分は故人を偲ぶ何よりの手向けになるのでは無いでしょうか。

江戸時代は、酒宴の場では現代のカラオケのように小謡が酒の肴として謡われ ていました。今の宴席でいきなり謡を謡ったら座が白けてしまうと思いますが、 同好の志が集まるような宴席ならば次々に小謡が飛び交うのも粋だと思いま すね〜。

「羅生門(らしょうもん)」の「強者の交わり 頼みある中の酒宴かな」や 「春栄(しゅんねい)」の「嘉辰令月とはこの時を言うぞめでたき」などは座を もり立てる良い曲だと思います。

・・・これが玄人の集まりだと変な駄洒落にも謡の詞章が入るのでまさに「内輪 ウケ」の世界です(笑)ゴルフ場で同組の4人が謡で駄洒落ていて、笑ってキ ャディさんがわからずにキョトンとしていることもよくあります。 皆様もぜひ謡曲を習ってこの「内輪ウケ」の醍醐味(?)を味わってみませんか?! (文責 中森貫太)

10月 定例会 能 養老 小島 英明 狂言 栗焼き 仕舞 実盛・松風・通小町 能 野々宮 弘田裕一 

好評発売中 柳沢新治著 横から見た能・狂言(能楽書林)223p、¥2,100

矢来能楽堂地図  
TEL.03-3268-7311 FAX.03-5261-2980 
東西線 神楽坂駅 矢来口矢来能楽堂は、昭和5年、当時の牛込区矢来町(現在地)に新築されたが昭和20年5月24日空襲により消失。昭和27年9月、現在の舞台を再建し、平成14年で50年を迎える

平成17年12月27日(火)観世喜之師古希記念乱能 国立能楽堂(完全入替制・全席指定・お茶券つき)
平成18年 観世九皐会 予定番組 午後1時始め 定例会は第二日曜日(6月・8月を除く)
1月8日:翁・高砂・車僧。2月12日:采女・蟻通。2月25日 第26回九皐会若竹能;仕舞・小袖曽我。3月12日:嵐山・熊野。4月9日:草子洗小町雲林院。4月30日(日)別会・国立能楽堂 National Theatre Noh Stage :安宅・簸屑(ひくず)・道成寺。5月14日:葦刈・鞍馬天狗。6月10日(土):清経・国栖。7月9日:小督・安達原。8月6日(日):松風・舎利。9月10日:敦盛・一角仙人。10月8日:半蔀・船橋。11月12日:佛原・船弁慶。12月10日:忠信・三輪・石橋。

4世銕之丞ー観世清之(明治42没)−喜之(昭和15年没)−2世喜之(昭和52年没・仙台喜之実兄永島兼太郎長男として出生・祖父清之名付親として武雄と命名)−武雄(昭和10生)−喜正(昭和45生)。 喜之師を当主とする矢来観世家は、歴史的には、観世銕之丞家(宗家の分家)の分家。その芸系である。

--鎌倉能舞台メルマガ2006.11.1--無事に道成寺に着くと、シテは鐘の供養を拝もうと鐘楼に近づきます。これを 見とがめるのが間狂言の寺男ですが、このシテを止めるタイミングが結構難し い。遅いとシテはかなり舞台の前まで行ってしまうか、止められるのを計って いるように歩調が重くなってしまいます。加速中に丁度良い場所で止まれれば 最高です。
寺男が、白拍子の美しさに女人禁制と念を押されたにも拘わらず供養の場に招 き入れ、女はその返礼に舞を舞います。その際に寺男に対して「あら嬉しや」 と謡いますが、これが凄みと喜びの感情を込もっていることが肝心です。 「安達原」の「あら嬉しや候」と共に般若を使う曲の独特な謡ですね。--。


能面 聖徳太子が面を秦の何某(私の記憶喪失)に与えて、そのまねをさせた。宝生流はそのときより始祖初代としている(MOA美術館)
芸能の力ー言霊の芸能史ー笠井賢一さん;高新2005.5.3014面---四天王寺に詣でたことがありますか。593年、聖徳太子が建立した仏法最初の寺ともいわれる大伽藍です。小寺巡礼の寺ではなく、いまだに庶民の信仰そのものが生きているお寺です。---このお寺はいまでも能「弱法師」や説教「俊徳丸」の物語と同じに、貴賎群集が集う寺です。このお寺の西門は意思の鳥居で、お彼岸の中日にはこの門から真っ直ぐ先の難波の海に太陽が沈み、それをおがむと西方浄土に極楽往生が出来るという、日想感が信じられ、多くの人々が集まったのです。
天王子楽所(がくしょ)は京都の宮廷の楽所、奈良の楽所と並び、三方楽所とよばれてきました。徒然草に兼好法師は「何事も辺土は賎しくかたくななれども、天王子の舞楽のみ都に恥じず」と書き残しました。天王子の楽人は京都、奈良の人たちに比べて身分は低かったんですが、聖徳太子ゆかりの寺としての誇りを高く持っていました。---

喜多流の始祖 北七大夫 天正14年(1586)泉州堺の眼科医の子、7歳のとき太閤の前で「羽衣」を演じ、ほめられ七つ大夫とよばれ可愛がられた。太閤さんは南蛮渡来の革袋を腰にあげていて周りの人が七つ大夫はあの革袋のように大事にされていると、カワブクロのことを「ロクヘイタ」と当時言ったという。ロクヘイタはなし、普通名詞に、「○○ヘイタ」はポルトガル語は多いという。トロヘイタはトランペット。類似音にカルタ、マンタ(マント)--。

2005.1.27高新 中東で(イランやカタールなど4カ国)で計約1,200人に能楽を披露するNPO法人「せんす」代表、能楽師・橋岡佐喜男さん:シテ方二人、囃子方二人と極限まで出演者を削り「ミニマムな能」に仕立てた。---2002年の法人設立----千葉県出身・観世流シテ方・故橋岡久馬市の二男---36歳。

2004.9.4高新  水俣病の被害者や犠牲となった生き物・しぜんへの回生と鎮魂の舞 作家石牟礼道子さん原作の新作能「不知火」2004.8.28水俣湾埋め立て地の特設舞台で上演された。演出が高知市出身の演出家、笠井賢一さん(55)。山中の水脈から海底に湧く泉まで、この世の命の水脈を司る一族が居た。今、ヒトが作り出したさまざまな毒が水脈に沿って大和海とを覆い尽くし、生類は命脈を絶たれようとしている。そこで、父・竜神は、姉・不知火と弟常若に命脈をつなぐ仕事に就かせる。姉は海中の毒、弟は陸上の毒を自らの命と引き換えに浄化しようとする死と回生の物語

弁慶 は 折り紙(依光先生より、2006,1,31風邪見舞いで画像を拝受) →

稽古 JUSTSystemschool32('09.p26) いにしえ(古)を かむがへる(稽る)こと 幸流住駒匡彦(まさひこ)さん
小鼓の場合、手付と呼ばれるごく簡単な譜面を手がかりに稽古を行う。小鼓には乙(乙音)と呼ばれる柔らかな「ぽ」、それよりわずかに低い「プ」、甲高い「タ」、小さい音である「チ」、そして使われることの少ない特殊な音である「ツ」。の計5種類の音がある。これらを特定の順序で打つ「手(手組みともいう)」と呼ばれるフレーズがあり、この手を組み合わせて局を奏でていく仕組みだ・・。・・支障は張り扇で叩き、同時に曲を謡います、弟子はそれに合わせて小鼓を打っていきます」・・。楽譜も無い、指揮棒もない、師弟の対座のみがあるなかで・・。


声がれ 要注意 数日続くと迷わず耳鼻咽喉科に! 声枯れの70%は何らかの病気が原因;声帯ポリーブ、ポリーブ様声帯・喉頭がん・声帯の運動障害によるケース等。声帯の運動に関係する神経の一つは、心臓のあたりまで伸びている。「このため、食道や肺、甲状腺のがん、心臓動脈瘤があると、神経を圧迫して、運動障害を起こす」。→呼吸器科でCTスキャン(器質検査)。喀痰検査(がん)。声帯溝症(せいたいみぞしょう)声帯がやせる<高齢化にともなう・生来のものには逆に声を出すほうが声が長持ちする>。気管挿管による嗄れ声もある(16〜67%発生)等;→声帯が赤くなければ筋肉の萎縮がかかわっているので声を出したほうが良い、慢性気管支炎の存否・肺機能検査(肺活量検査をする道具で出来る)、音声外科・音声呼吸法・音声配置訓練・アテロコラーゲン注入法---。声帯肉芽腫・声帯肥厚・声帯結節--。声帯が赤いときは、ポリーブ(血豆)がせきるので声を出し続けてはならない。痰をともない切れにくい;気道粘膜の粘度を下げるために例えばムコダイン等・そして漢方薬の麦門冬湯との併用が有効。

中国もの 22曲ほか(時代別)

余情(ヨセイ)言 葉に現れぬ余情、かすかな情趣、姿に見えぬ景気。ex.モノクロームの秋の夕暮れの様子に触発されるそこはかとない哀感。ex.霧の絶え間からほのかに見える秋のやまん奥ゆかしさ。<霧と霞は気象学上は同じで、文学上は、秋に霧・春に霞>

野村万之丞さんを悼む 権藤芳一 2004.6.12高新より引用 〜〜万之丞は平成2年、東京の日枝神社の祭りに、中世芸能の「大田楽」を復活した。大田楽は京都の建都1200年のイベントでも行われ〜た〜平成5年に設立された「楽劇学会」は、〜「阿国かぶき」の復元を試み彼に演出を依頼〜復元版は昨年(平成15年)「阿国歌舞伎発祥400年記念」として、境地の四条河原で上演された。万之丞は、中国の京劇、インド、バリの舞踊やシルクロードに残る技楽の遺跡の調査や東南アジア各国の演劇人とのコラボレーションを通して、技楽の復元や新しい楽劇の再生創造を着々と実現した。その成果には目を見張らせるものがあった。〜〜駆け抜けた狂言師

高知県立能舞台の床は国産材

能楽体験講座第一部「さわってみよう」大鼓、小鼓、笛にチャレンジ。第二部「大きい声をだしてみよう」小学生4年〜6年1人と大人1人を一組として25組募集、2003.12.13 午後2時〜5時 無料(白足袋は各自用意)、申し込みは県立美術館088・866・8000指導は金剛流宇高通成師
新作能「龍馬」2003.11.14高知県立美術館能楽堂で上演、川田小龍のひ孫宇高通成さん(56歳) 2003.12.21高新 体験講座の概要が写真入で報道。

能楽を無形文化遺産に;パリ2003.10.17日共同;消え去る恐れのある口承芸能や舞踊などを保護するための「無形文化遺産保護条約」と、映画などの芸術、文化の多様性条約作成に取り組む決議を採択。30カ国の批准を得て発効する。日本の能楽は発効の段階で同条約の「無形文化遺産代表リスト」に登録されることになる。(映画市場が米国に独占されていることに危機感のフランスやカナダ、先進国に世界遺産が偏重していると批判するアフリカ諸国)

能楽 世界文化遺産に 人間の口承および無形遺産の傑作の宣言 ユネスコパリ本部2001.5.18 日本の能楽ほかサンスクリット歌劇やシチリア島野伝統人形劇など18件

▼日本からは能楽だ、考えてみれば、この芸能もよく生き残ってきた。危機はあった。例えば明治20年に、能楽保護の請願書が政府に出された。能楽は「無形ノ妙地ヲ連々相伝」するものだから、一度途絶えると復興できない。保護がなければ遠からず廃絶するだろう、と▼その昔、こういったのは世阿弥である。「命には終わりあり、能には果てあるべからず」 5/20 (天声人語より)

能楽が世界無形遺産 ユネスコが「傑作」と宣言 5/19 朝日新聞。能楽 世界無形遺産に ユネスコ第1回指定 多用な伝統文化を保護 5/19 毎日新聞。能楽など世界遺産に 5/19 読売新聞。能楽、無形遺産に ユネスコ世界の傑作と指定 5/19 東京新聞


伝統芸能
(http://www15.ocn.ne.jp/~noo/japan/geinou.html)





タイトル
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口誦芸能にリンク
現代語対訳 「現代語でたのしむ能シリーズ」第1期・平成14年までに全50冊 各500円 2001.6 檜書店URL 
 習い事 三日続けば三月続く 三月続けば三年続く

■今日の常識【問題】 大蔵と和泉の二流派からなる、日本の伝統芸能は何か? 

  ┃■今日の常識【解答】┃  ▼解答[狂言]
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日本の伝統芸能の一。猿楽の滑稽・卑俗な部分を劇化した芸能。 室町時代に成立。猿楽能と併せ行われるが、舞踊的・象徴的な能と異なり、物まねの要
素や写実的な科白(せりふ)劇の性格をもつ。江戸時代には大蔵流・鷺(さぎ)流・和泉(いずみ)流の三流があったが、明治時代に鷺流は絶えた。能狂言。
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若竹能とは観世九皐会の若手能楽師が、日頃の稽古能で培ってきた成果を舞台で発揮しようと、平成5年に発足した年2回の研究公演。平成14年3月2日(土)1時30分開場 矢来能楽堂 新宿区矢来町60
若竹能は、はじめは名称も「若竹」ではなく、若い武雄の会(武雄=現喜之師)ということで「若武会」という稽古能の会であった。第27回 若竹能 平成18年7月23日 鉄輪〜心の闇の〜ものがたり、 ほか 
鉄輪は五徳のこと・貴船神社の神託に「--鼎足(3本足・五徳はふつう3本足)に燈火を燈す鉄輪を戴き(五徳ををさかさまにして頭につけ、その足にろうそくを一本ずつ立てともし)身に緋紅の衣、顔に丹を帯びて、なにより怒る心を持てば、生きて鬼とならん---」

天人といえども六道輪廻の束縛から逃れられず、やがて寿命がつきかけるとその体に五衰の兆候が現れる。それは、@頭上の花飾りがしぼみ、A身にまとった天衣が汚れ、B腋の下から汗が流れ、C量目がかすみ、D天界に住んでいること自体が楽しいことではなくなってくる。天人たちの苦しみの凄まじさは、地獄に堕したものが受ける苦しみでさえ、16分の1そのに過ぎないという。(20025.26高新、天人五衰;海老塚和秀和上)

平成14年の4月春季別会(12日・13日・14日、午後1時より)では再建50周年記念として、各流派のご宗家や所縁の方々をお迎えした日賀寿能(ひかずのう)を催す
於矢来能楽堂 正午開場 YARAI NOH STAGE 50th Aniversary
オリンピック憲章の第四章は、参加資格とか年齢制限や、参加申し込み等であるが、四章の第35条は次の通りである。
大会組織委員会は、IOCの承認の下に国内芸術展示および実演(建築、文学、音楽、絵画、彫刻、写真およびスポーツ記念切手)の準備をなし、その開催期間を決定しなければならない。芸術展示のプログラムは演劇、バレー、オペラまたは交響曲を含むことができる。この部門プログラムも競技種目と同一高度のものであり、かつ同じ時期および同じ地域で開催されなければならない。また組織委員会が行う広報宣伝の中でも、それ相応の地位を与えられなければならない。


第4頁・中国22曲

   日本芸術文化振興会

  花鏡(かきょう、はなのかがみ) 
是非初心不可忘。  時々初心不可忘。  老後初心不可忘。
是なる点も、非なる点の初心も、忘れるべからずその時期、その時期における初心を、忘れるべからず老人には、老人としてふさわしい芸をみにつけることも初体験であり、初心と心得なくては退歩してしまう
世阿弥、40歳のころから老後にいたるまでの間に自得発明せしところの秘傳書


小鼓  太鼓

 現行演目の全文と現代語訳  檜 書 店
 鎌倉能舞台ほか公演情報  


全国の観世九皐会 
上田観世九皐会 大阪観世九皐会 観世九皐会 木曾観世九皐会 高知観世九皐会 札幌観世九皐会 高田観世九皐会 豊岡観世九皐会 長崎観世九皐会 長野観世九皐会 名古屋観世九皐会 北信観世九皐会 松本観世九皐会 横須賀観世九皐会 蕨松風会   

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News  観世会創立百周年記念二十四世観世左近師「観世流仕舞総心得」300部限定復刻、檜書店、\12,000。   

覚に訴える能、 派手派手しく大衆受けのする能、 さしよりしみじみとして やがて音曲にあわせてしとやかにおもしろい能、 究極至上は、名人が歌も舞も話の場もさしてない能で さびさびしたる中に なにとやらん感心のある所ある能。目のこえた人も見知らぬまして田舎のめききは思いもよらぬ能。(花伝書) 


能の現行200数十曲のうち22曲が中国物であり、夫々の曲についての時代・地域についてまとめた。21曲は百番集・続百番集で読むことが出来る。大般若(だいはんにゃ)は、唐大宗時代・三蔵法師はインドへの求法の途次、砂漠で真蛇大王(シテ)にめぐり合い般若経を贈られる。現行曲ではないが、梅若紀彰(としてる)氏により昭和58年、551年ぶりに復曲上演された
異色の大曲といわれている。
   
  能 狂言 用語    

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安楽寺 能舞台 徳島自動車道・美馬ICから5分。0883・63・2015
美馬能楽会、年2回鑑賞会・講習会


         能の組織 (芸能辞典 昭和40年訂正12版 506p より)
能には単式能と複式能とがある。前者は中入のないもの、後者は前後二場に分かれ、前場が終わって中入となるのであって、この中入の繋ぎは狂言方が勤めるから、それを間狂言或いは能合(あいきょうげん或いはのうあい)といっている。
しかし、単式能でも、複式能でも、一番の能の中で、場面は幾つにも変わるのであって、例えば、ワキがどこそこに着きて候とセリフをいって、ワキ座に着けば、それで舞台は一変するのであるが、そのため背景を取り替えたり、大道具などを用うることはない。それは深い純一な情趣を主とし、写実の多様性を斥けるためから来ているのである。
一番の能の部分部分には、例えば、「次第(しだい)」「名告(なのり)」「道行(みちゆき)」「着きゼリフ」「一声(いっせい)」「二の句」「小謡(こうたい)」「問答」「懸合(かけあい)」「初同(しょどう)」「クリ或いは序」「サシ」「クセ」「ロンギ」「待謡(まちうたい)」「出端(では)」「キリ」「、そのほかの特殊な称呼が附けられている。登場の諸役には「シテ」「ツレ」「ワキ」「ワキヅレ」「子方」「トモ」「立衆(たちしゅ)」「などがあり、その外、「地謡(ぢうたい)」「囃子方(はやしかた)」「間狂言(あいきょうげん)」「後見(こうけん)」「舞台働(ぶたいばたらき)」「物着(ものぎせ)」「があり、「囃子方」は笛・大小鼓・太鼓の四拍子であるが、太鼓のない曲もある。能の開演に先立ち囃子方は鏡の間に来て一列に座り、いよいよ始めて宜しいという時に、各その楽器の調子を検べるが、これを「幕内(まくうち)のシラベ」といい、その手には定りの約束がある。これが聞こえてから,間もなく能が始まる。
「幕内のシラベ」が終わると、笛方から順次囃子方が幕の横合いから橋懸(はしがかり)に出るが,この出方を「片幕(かたまく)」といいい、囃子方および後見方の出方である。シテ・ワキ・ツレなどは、幕を「鏡の間(かがみのま)」内へ高く引き上げて出る。即ち「本幕(ほんまく)」で、後見方が作り物を「鏡の間」から持ち出す場合も同様である。それが「翁(おきな)」の場合になると、諸役が悉く「本幕」で出る。シテ・ワキ・ツレ等の退場は、いつも本幕であるが,特殊の能にだけ幕を上げて姿を見せることがある。即ち「半幕(はんまく)」で、これは退場のときにもある。シテは幕を揚げさせると、一度身をやや右へ向け,直してから出る。これを(幕放れ(まくばなれ)」といい、それでその曲の位がきまるのである〜〜
      工事中

   花傳書(かでんしょ) <  風姿花傳、 略称 花傳 >     

世阿弥の父観阿弥の庭訓を録したもの。明治41年に発見され、42年に「世阿弥十六部集」のなかに収めて、単行本として出版されて、世上に知られたもの(前掲 芸能辞典)
『風姿花伝』執筆600年記念特集 月刊観世H12年11月号 檜書店 ¥840

☆番外「能の名言」☆☆<鎌倉能舞台メルマガ2003.6.1引用> 次頁に引用
ー花は美しく、人にもてはやされる。単に美しいからではなく、花は散るからそれを惜しむ人の心が美しいと感じさせるのだ。ー世阿弥の名著「花伝書」は、一.年来稽古条々 二.物学条々 三.問答条々四.神儀 五.奥義 六.花修 七.別紙口伝 の七編より成り立っています。
ここでは、中森晶三著「能の知恵ー花伝書を現代にー」より、名言をランダムに選んで世阿弥の魅力について、探っていきたいと思います。(次頁第3頁高知・鎌倉能舞台へ

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「能楽書林」と高知県 : (矢来能楽堂再建五十周年記念観世九皐会の歩み平成14年4月12日発行)より引用。
〜〜前身である「観世流改定本刊行会」の創業は明治四十年で、五番本の刊行が最初です。私の祖父・莞爾は、文人官僚で、東京から土佐に移り住み、初代の清之先生にお稽古をお願いしたと聞きます。祖父桂は、初代喜之先生に御習いしたのです〜〜(丸岡圭一(能楽書林代表取締役))。
〜〜観世九皐会が産声を上げたのは明治41年〜〜定期的に一門の月例会を催し始めたのは、明治44年5月でウ大会であった、このときから九皐会と称した。〜〜桂は莞爾の長男で、土佐藩士の莞爾は坂本龍馬とも親交あり、宮内省官吏・高知県知事を歴任し、詩歌・書画・謡曲を嗜む文人で、その息子として生まれた桂は、父の影響から国文・歌道に通じ、とくに謡曲文学研究に専念して、その半生を捧げた。殊に清之に入門し謡を嗜むうち、旧来の謡本に飽き足らず自ら謡本を刊行するに至った、即ち、明治四十年観世流改定本刊行会(現、能楽書林)を創立し、清之と提携して弐百十番四十一冊の新謡本を刊行したのである〜〜(山崎有一郎(能楽評論家・横浜能楽堂館長))。
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能楽書林は、いま、社長さんは五代目。以下、http://www.kanda-hojinkai.com/sinise2nd/sinise12.html 引用。祖父に当たる丸岡桂が30歳の時、「観世流改訂本刊行会」を起したのが始まり。曾祖父の莞爾は土佐藩士の出で維新政府の文官、高知県知事を務めた人で、歌を詠み、謡曲を趣味としていた。 二十代に、歌集を出しています。晶子の「みだれ髪」に先行する浪漫歌集です。また発明家としての顔も持っていて20歳の時、ヘリコプター式の飛 昇機を作り試験飛行をしたということです。ライト兄弟とほぼ同じ頃。明治のおおらかな気風があったのでしょうね。出版の方では、従来の謡本の節付けを正し く、易しく一新した改訂本を発行し、謡本に革命をもたらした、と高く評価されています。
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2011.9.18高知新聞 土佐藩お抱えの能役者 堀池良一(よしかず)のガラス板写真(京都で撮られたのかもしれない)ちょんまげ姿・刀を差sピストルを横向けに構え商事を背後に格子縞の座布団に座っている・縦7.5cm横6.5cm暑さ0.3cm、京都在住のお抱え能役者の家で、9代にわたり土佐藩能の家元的地位を担った・・。嘉永期に藩主に重宝され土佐に居住)、堀池家に用紙に入り、反の家老五藤正身の娘を嫁にめとった。・・曾孫に当たる森田康彦さん(80)高知市長浜・所蔵・・・。

  続「世阿弥 花の哲学」成川武夫著 ← 花の哲学 成川武夫著 1980多摩川大学出版部 発行 P222 世阿弥・・老後の初心忘るべからず・・命には終わりあり、能には果てあるべからず・・上がる位を入り舞にして、つひに能下がらず・・世阿弥の能芸論は初期の「風姿花伝」をはじめ中後期の「至花道しかどう」「花鏡かきょう」「拾玉得花しゅぎょくとっか」など18種の伝書、および、芸談の筆録である「世子六十以後申楽談儀」のうちに収められている。・・能芸美・稽古・演技・演出・作能などの諸方面に関する能芸論・・中心主題は舞台効果である「花=舞台における表現効果・演出効果としての能芸美=感動的な場面・見せ場・さわり・・=「幽玄(優美)」「珍しさ(新鮮さ)」「面白さ(面白きところ)」・・」の表現論である。・・・

花 絢爛の桜 梅の素朴 ゆりの清楚 菊の高雅 バラの甘美 ボタンの妖艶 

世阿弥の生涯は、一般に将軍との関わり方に基いて、・・(思想展開を一般に)「風姿花伝」3代義満時代を前期、4代義持時代の「花習」から「拾玉得花」までを中期、6代義教時代の「五音」以下を後期とする区分はがある。が、中期と後期の協会はそれほど明確ではない(同書28P)。・・・

幽玄の変遷(同書41P〜) 幽玄;元来中国で労使や仏教の悟りの境地が深遠微妙でsあることを形容する言場・・・暗くて深いという意味の幽と、光を通さない黒を意味する玄の合成語(元来、理性の光の通らない暗く奥深い存在を示す)・・谷崎潤一郎に「陰影礼賛」・・一文に・・日本美の真髄は周囲を暗くし、必要なところに光をあてることよって実在感が強められるところにあるという見解が、日本の伝統的な工芸料理、、建築、衣装、女性などについて具体的に論じられている。・・たとえば、闇を条件に入れなければ漆器の美しさは考えられない・・派手な蒔絵を施したピカピカ光る・・器物を取り囲む空白を真っ暗な闇で塗りつぶし・・(太陽や電灯の高繊維代えるに一点の)灯明か蝋燭のあかり・・・ケバケバしいものが底深く沈んで、渋い重々しいものになるだろう・・。
平安時代の幽玄 (同署42P〜) ・・余情(ヨセイ)という美的観念ときわめて親近な関係・・平安中期「作文

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